groupBでの事故

ラリーカーのタイヤが地面に接していない場面もしばしば。
人が溢れ返る中を猛スピードで走り抜けていては死人が沢山出るのも当たり前。


歯止めのないパワー競走と、続発する悲願


フルタイム4輪駆動のアウディ・クワトロ、ミッドシップエンジンのランチア・ラリー037。84年、この両者の利点を合体させたミッドシップ・4WDのプジョー205ターボ16が登場する。

さらに85年にはミッドシップ4WDにターボチャージャーとスーパーチャージャーを搭載した究極のモンスターマシン、ランチア・デルタS4が最終戦RACでデビュー・ウィン。


エンジンの出力は500馬力に達し、パワー・ウェイト・レシオが2㎏を切り、0→100㎞/h加速は当時のF1よりも速かったというグループBマシンの進化は、歯止めがかからなくなっていった。

パワー競争に明け暮れたグループBマシンは、そして人間が制御できる限界を越え、死亡者が出る事故を続発させてしまう。


85年ツール・ド・コルス、ランチア・ラリー037を駆る名手アッティリオ・ベッテガが立木に激突して死亡。ふたつのラリーを挟んだ後のアルゼンチンではアリ・バタネンがプジョー205ターボでクラッシュ、瀕死の重傷を負う。

翌年86年ポルトガルでは、WRC史上最悪の事故が起こってしまう。ヨアキム・サントスの駆るフォードRS200が観客に突っ込み、4人が死亡、20人が負傷するという惨事となってしまった。

WRCではないが、ドイツで行なわれたヘッセン・ラリーでマーク・スレールのRS200が時速200kmでコントロールを失いコース脇の木に激突。マシン
は一瞬で炎上し、コ・ドライバーは死亡。ドライバーのスレールは幸運にも一命を取り留めたが、ドライバーとしての生命は絶たれてしまった。


そして今も語り継がれる86年コルシカのSS18、不世出の天才といわれたヘンリ・トイボネンのドライブするランチア・デルタS4はコースアウトして炎上。ヘンリとコ・ドライバーのセルジオ・クエストは帰らぬ人となる。

ヘンリの事故の2日後、FIAは86年限りでグループBの廃止を決定、翌年からはグループAの時代へと変わった。